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家族と事業の物語 第4章 「あこがれ」の創造
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家族と事業の物語

第4章 その1「あこがれ」の創造

■挫折と再燃

先生が医学部に入ったのは、高校の恩師に勧められたという理由以外に

特に見つかっていなかった。

入学後にも関わらず、教育学部のボランティアに参加し教師になろうと思ったこともあれば、

一度観た芝居に感銘を受け、その劇団の地方巡業について回り、

本気で役者になろうと入団を考えたこともあった。

いつもそうだった。典型的な熱しやすく冷めやすい性格。


高校生まで自宅で耳鼻咽喉科を営む家庭で過ごした。

ピアノ、そろばん、水泳教室・・・親に勧められた多くの習い事は続いた例がなかった。

もともと内にこもる性格でテレビや漫画がF少年を夢中にさせた。

特にブラウン管越しの『姿三四郎』に釘付けだった。

圧倒的強さを誇る柔道家矢野正五郎に憧れ入門し、心身共に強く成長していく三四郎の活躍は、

F少年にとってなりたい一番のヒーローだった。

 

の影響を受け、中学校に入学すると同時に、迷いなく柔道部の道場に向かった。

すぐに頭角を現し、地元では無敵。高校進学後は全国大会にも連続で出場した。

しかし最後の大会をアキレス腱断裂という不幸なアクシデントで不完全燃焼に終える。

それからは同級生がそうするように、希望の大学を決め、受験に向けとりあえず必死に勉強した。

その目標に冷めた空虚な心は満たされず、柔道の稽古ほど熱が入らなかった。

医学部に合格してもイコール医者になるという筋書きに魅力を感じられない。

自分が秘めているであろう別の可能性を信じ、退屈な大学生活の中に

ドラマティクな出来事を求めていたのかもしれない。

目移りが激しく、興味を引かれては冷め・・・冷めると次へ・・・

地に足が着かない浮ついた日々も既に5年が経過していた。

医師国家資格に受かるために500問の試験に向けた勉強はとりあえず始めていた。

 

んなある日、先輩ドクターの回診に臨床実習で同行していた際、ある入院患者に出会う。

その痩せ細った小さな女の子は心臓の難病に蝕まれ、既に余命宣告を受けていた。

何度目かの回診時、全身チューブにつながれ、病魔と闘う娘を遠目に見守る母親がいた。

「先生、いままでありがとうございました・・・」

我が子の幸せについて苦悶の日々を過ごし憔悴しきった表情で、その決断を告げられた。

先輩はその意向を理解し静かに頷いた。その光景に言葉が出なかった。

だが延命治療をやめ、最期を自宅で過ごすことにしたその女の子の顔は、

なんだか穏やかに笑っているように見えた。

医局に戻り、先輩ドクターは戸惑いと動揺を隠せない医師の卵にこう言った。

「医学知識は関係ない!ひとりの人間として患者さんにどう向き合うかが重要だ!」

この一喝が、逡巡していたF先生の胸倉を貫いた。

「人間は生まれた瞬間に、死というゴールに向かう・・・

この必然に医師として患者さんにできることは・・・」

 

それからは医師という使命に対し本気で向き合いはじめた。

進む道は違えど、少年の頃の『姿三四郎になりたい』という感情と重なり、

懐かしくも熱い思いが込みあげてきた。

 

■棘の道と恩師

学部卒業後、F先生は研修先に敢えて過酷な地を選んだ。

沖縄県内でもトップクラスの急性期病院である。

呼び出しコールは絶え間なく鳴り続き、救急車両は昼夜問わずひっきりなしにやってくる。

早朝からサンドイッチを押し込む暇さえもないほどの忙しさだった。

もちろん青海原を眺め、処置後の余韻に浸っている時間など微塵もなかった。

しかし苦しい研修の中、唯一の支えはアメリカから招聘された刺激的な指導医たちだった。

黒帯クラスの猛者たちは的確な診断、迅速かつ適切な処置、プロとしての持論、

独自の倫理的思想を持ち合わせていた。

羨望の眼差しで、その実在する偶像を日々追いかけていた。

「自分もああなりたい・・・」とその洗練された格好良さに、アメリカ行きの願望が強まっていた。

 

数年後、研修の実績が評価され、アメリカ行きを推薦されると、まだ幼い子供たちを連れて渡米する。

新しい生活は苦難の連続だった。

一番の苦労は独自のメディカルイングリシュに悩まされ、スタッフ間で上手くコミュニケーションが

取れないことであった。

しかし救急搬送される患者は待ったなしで、処置室に溢れかえる状態。

そんな中、ふと沖縄のアメリカ人指導医P先生を思い出した。

P先生は常に冷静で、頭脳明晰な診断と処置を温厚な笑顔で行う。

みるみる不安が取り除かれていく患者さんの様子に釘付けになって見ていたこともあった。

「自分もああなりたい・・・」というあの思いは、再度F先生の情熱を掻き立て、

いつしか周りのスタッフが言葉と文化の壁を越えて協力してくれるようになっていた。

個の力で何とかなると信じてきたが能力には限界がある。

アメリカの地でチーム医療の本質を学んだ。

 

■感謝の集大成

者修行から凱旋したF先生は、ほどなく沖縄で開業することを決めた。

沖縄は医師としての自分を育ててくれた地。ここに今までの経験と技術で恩返ししよう。

志を一にする多くのスタッフが集まった。

いままでとこれからも感謝し感謝される人になる・・・

この思いを胸にスタートを切ったF先生のクリニックは地域に愛され続け8年目を迎えた。

現在、国策でかかりつけ医の設置、地域医療計画はここ沖縄の地でもなかなか進まない。

コンサルタントチームとの熱い資産形成計画のミーティング中、

F先生自らが、「地域が支えあう環境と感謝の場を創りたい」

最終目標にメディカルビルを造ることを明言した。

今までで培ったものを後進に承継し、切磋琢磨が飛び交う学びの場と、

子育て世代が独りにならない地域のコミュニティが集まる環境。

 ここに感謝の集大成を見出した。

開業10年目、60歳を一つの節目とし、ここから新たな人生のステージ設営に動き出したところである。

F先生の熱された感情は冷めることなく、次世代への『憧れ』を創造していく。

(株式会社インベストメントパートナーズ 
執行役員/ゼネラルマネージャー
資産形成コンサルタント 恒吉雅顕)

角田のあとがき

第4章 その2 「ビジョン」の力が「利益」に直結。永続性の発展のもと、事業承継のもと

■「ビジョン」の力

業が成長するためには、企業の目的そのものである経営理念と、将来の明確なビジョンが必要だと言われますが、

本当にその通りだと思います。

また、より重要なことはそれを社員やスタッフと共有することということもつくづく感じます。

また、そのビジョンを達成するためには利益にこだわった経営をしなければならないことは事実ですが、

ビジョンが利益を生み出すことも大切な事実です。

 

る運送会社の未来会議の様子です。

その会社の「未来会議」とは毎月の業績(損益)を各部署から詳しく発表し合う会議ですが、

たいへん驚くことがあります。

それは、売上げや経費や利益の報告の場に正社員だけでなく、パートスタッフも全員参加していることです。

さらに驚くことは、各部署が発表したあとの活発な議論です。

そこではパートスタッフも、運転士も正社員と同じように質問しています。

「業績を上げるためには小さなトラックのほうが利益率はよいですか?」とトラックドライバーが質問しました。

あるパートスタッフは「そのトレーをもっと効率的に洗う方法を自分がみんなに提案する」と発言しました。

参加する多くのスタッフが「利益をだす」ことに注意を向けて参加していました。

これは全員参加の業績検討会が100名近くで行われた場のことです。

 

■経営者の2つの真逆の考え方

のような会議がなりたつ前提は売上げや経費、利益をスタッフに開示すること、つまり共有することです。

売上げや利益をスタッフと共有することに抵抗がある経営者は多くいます。

利益が上がっていれば「もうけすぎ」と言われはしないか。

赤字だったら会社を辞めてしまうのではないか。

といった理由です。

その運送会社の社長は「みんな売上げや利益を知りたいでしょ。それがわかればみんな何をすればよいか、

考えたいと思うでしょ」と言います。

経営者の考えがまったく正反対です。

 

はなぜこの経営者はこのように言えるのか。

それは、経営のため、つまりビジョン達成のためには利益が必要だということを

スタッフがわかってくれているからです。 

ビジョン達成のためには利益が必要だと言えますが、ビジョンが利益を出すことに直結していると言えるのです。

 

ある歯科医院の経営会議では、事務長の女性が利益にこだわって院長を動かすようになりました。

ある特養の経営会議では「助成金をもらったら利益を出せる。何もせずに利益を出せる。」

とみんなで助成金のことを勉強しはじめました。

 

利益が出ることを喜ぶスタッフを見て実は経営者が最も幸せな気持ちになっていました。

ビジョンをスタッフと共に実現する幸せは経営者にとって本当に幸せなことと思います。

 

(税理士法人ネクサス 代表社員 角田 祥子)


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