家族と事業の物語
第1章 親の背中、子供の想い
人口4.5万人のK市、クライアントである歯科医院理事長S先生とは
約8年前からのお付き合い。
50代前半のS先生はとにかく明るく、人見知りしない性格と、
医療に真剣に向き合う姿勢が地域で高く支持され続けている。
診療中、人目をはばからずスタッフを怒鳴り散らしたと思いきや、
患者さんが帰るとスタッフルームで優しく指導している姿を見かけたことがある。
そこには一貫したプロフェッショナル魂が根底にあり、医院の離職率の低さに深く納得したことがあった。
休日には地域のイベントにスタッフ全員から誘われるほど仲がよく、
一度「№1のスタッフ」と「奥さん」のどちらかの選択を迫られた場合、
間違いなくスタッフを選ぶと冗談交じりに話していたことを覚えている。
医院経営は順調でスタッフにも患者さんにも好かれるS先生であったが、
この頃私に愚痴まじりにほぼ毎回聞かされることがあった。
S先生の3人の子供たちは歯科の道へは進まないことが確定しており、
1人も後継ぎ候補がいなかった。
子供たちとの進路についてのコミュニケーション不足なのか、
そもそも自分の仕事に魅力を感じてもらえなかったのか、S先生は自身を責め、
受け入れ難い事実を忘れるように仕事に没頭していた。
大事に創り上げてきた医院を誰かに譲る時のために、
日々真摯に医療に向き合い続け、承継後に何があっても大丈夫なように資金を準備し、
がむしゃらに生きてきたが、3番目の砦である次男が、
医学部に進路を決めた瞬間、描いてきた「アトツギ」への夢と仕事の目的がリセットされた。
自宅は車で5分ほどの距離だが、食事とシャワー以外はほとんど医院で過ごし、
家族との会話もほとんどなくなっていた。
医院の人気と反比例するように、家族と心が離れていくのを感じていた。
「こんなに家族のことを思っているのに、なんでやろな・・・うまくいかへんな・・・」
S先生のやりきれない気持ちがいつの間にか口癖になっていた。
子供のために、妻のために加入した多額の生命保険、投資信託、不動産投資・・・
全てが無意味に思えた。
当初、私とS先生とのコンサルティングは、
「リタイア後、自分自身が悠々自適に暮らすため」がテーマで資産形成設計を進めており、
そこに家族のためという要素は皆無に等しかった。
しかし、その数年後、突然事態は好転する。
長男が薬学部から歯学部に編入し、長女は法学部を卒業後、
歯科衛生士専門学校へ進学したと、S先生の喜びを抑えきれない電話を受けた。
S先生の想いとは裏腹に、父親の思いは十二分に伝っており、
子供たちもそれなりに悩んでいたはず。
特に歯科への編入の意向を切り出した長男は、
かなりの決意と勇気を振り絞って告白したに違いない。
電話の後、張り詰めた緊張感の中、
素直になれなかった父と息子の雪解けが訪れ、お互いがお互いを認め合い、
許しあった映像がワンシーンとして頭の中に流れてきた。
このノンフィクションドラマの結末はハッピーエンドの途中ではあるが、
私自身の経験の中でこのケースは稀である。
経営者にとって「承継」の検討は必然性があり、その時を避けることはできない。
医院経営者であれば親族間への承継の可能性が高く、
医師、歯科医師免許取得のための資金(学資)計画と準備は必要である。
また第三者承継や売却にしてもできる限り早めの想定内イメージは重要である。
また承継時の設備のリニューアルや医院の改装費用など、お金にまつわる他の資金計画も必要になる。
S先生の場合、資金計画だけが先行し、家族会議がおざなりにされたケースではあるが、
準備がなければ思いは叶わなかったかもしれない。
現在、積年の思いが子供たちに伝わったS先生は
長男長女の「サクラサク」一報を心待ちにしている。
(恒吉 雅顕 / 資産形成コンサルタント)
■恒吉 雅顕先生プロフィール■
株式会社インベストメントパートナーズ
執行役員 ゼネラルマネージャー
1972年 福岡県太宰府市生まれ。
2006年 株式会社インベストメントパートナーズ設立メンバー。
2014年 公益法人日本医業経営コンサルタント協会 コンサルタント認定登録
2015年 「開業医のための資産形成術」幻冬舎メディアコンサルティングより出版
全国500人以上の個人開業院長、医療法人理事長を中心に、人生設計をサポートし、医院形態、規模、年代、地域性など、集積したデータをもとに主にリタイアメントに向けた資産形成の設計管理を行う。
また士業連携チーム(税理士、会計士、FP、弁護士など)と共に医療法人化、医院譲渡、相続、労務問題、スタッフ教育などの諸問題を幅広く解決している。
角田のあとがき
今回、恒吉様に連載をお願いすることになりました。
恒吉様の会社とお会いしてとても共感したことがあります。
それはお客様の資産形成を始める際に、ヒアリングを徹底されるということでした。
資産形成のヒアリングというと、
「いかに運用成績をよくするか、リスクの問題や、運用方法について」
と思いますが実はそのヒアリングはそうではありませんでした。
運用の方法論ではなく、リタイア後の目標や目的をしっかりお聞きする
ということだったのです。
さらにいえばヒアリングを通じて人生の目標やゴールを一緒に考える
ということがそのヒアリングでもあるということに共感したのです。
経営者というより作家のような恒吉様、この連載も資産運用の方法論ではなく、
恒吉様が経験された家族や事業の物語を語っていただけることになっています。
私自身もお客様を通じて、様々な家族や事業の物語に出会わせていただきました。
その物語は必ずしもハッピーな物語ではありませんでした。
いえむしろ悲しい物語も多くありました。
今、感じていることは、人生や事業は目的や目標を意識し続けることで、
事業や人生をより幸せな物語にできるのではないかということです。
恒吉様の物語、私も今から楽しみにしています。
どうぞご期待くださいませ。
(税理士法人ネクサス 代表 角田 祥子)